三途の川おさかなのブログ

だらだらしている

こんな日ですから

今日はうちの母上の誕生日だと聞きましたが、13日の金曜日です。だはは。

半年?1年?どれ程かひさしぶりにお車を運転します。交差点での右折がもうドキドキものなのです。去年の1月に遭った大回転事故は、交差点の右折時に起きたものなのですね。完全にトラウマと化しております。

春日総一さん、松本と共にお風呂に行きました。まったりと、ときにはビリビリなどして2時間ほど過ごしました。

21時ちょっと前にはモダンパスタにやってきて、適度に空腹を満たしつつ、小話会が始まりました。話し手は主に春日さん。やっぱり、夏でございますから心霊話ですね。13日の金曜日というのもぴったりです。春日さんはここ2ヶ月ほどでしょうか、心霊スポット、廃墟めぐりのブームが到来しておられるようです。

怖い話を聞いたあとと言うのはしばらくそんなイメージが頭の中に残る、あるいは肥大などしてしまいます。すると、普段は何とも思わないことでも怖く思えてくるのですよね。

家の、誰もいない2階に上がるだけでものすごく怖くなってしまいます。周りに何かの存在を感じてしまうのです。

お風呂で髪を洗うとき、目をつぶるわけなのですけれど、そうしますともう妄想大爆発と言った感じでございます。特に背後に霊のような存在を投影してしまい、怯えるのです。

それからちょっと空いたドア。その僅かな黒い隙間の先に、やはり何かの存在を投影してしまいます。

小学生の頃も当然、怖い話を聞いたりテレビを見ては何かしらに怯えていたのです。怖くてお風呂にも入れないし、2階に上がることも出来ない。寝ようとしても、怖くて電気を消すことが出来ない。電気を消さなくても怖くなって布団の中に潜り込む。潜り込んだら潜りこんだで、布団の外に霊の存在を投影してしまい、今度は布団から出られない。どうしてこんな馬鹿らしく不自由な目に遭わなければならないのかと、とてもやるせない気持ちに陥りました。

そんなとき、もしも自分が霊という存在を知らなかったら、こんな目に遭わなかったのにと、おさかなに霊の知識を与えた全てのものに対して、コノヤローと思いましたのです。

どうなのでしょう、実際に霊に関する知識が無かったら、何にも怖がらずに過ごすことは出来たのでしょうか。

それはさておき、春日さんの心霊スポットめぐりなどの怖い話からちょっとずれてきて、お葬式の話に移りました。

もしも自分が棺桶に入れられて、火葬するときになって意識が回復してしまったなんてことになったら、怖いなあなんてことをおそらく多くの人が一度は想像したことがあるんじゃないかと思うのです。

棺桶の扉をぼこぼこ叩いて「てやんでぇべらぼうめぇ!おらぁまだ生きてるんだよこんちくしょー」なんて大声で叫んだとしても、誰の耳にも届かないのです。そんな万が一の事態に備えて、これからの棺桶は内部に救助ボタンみたいなものを備え付けるべきなのではないか。ボタンを押すと、秘密基地から素敵マシンが発進するがごとく、火葬場の鉄の扉が開いて、棺桶が勢いよく飛び出す…のような。そして、近くの建物で今頃しみじみとお弁当を食べているご親族たちの前に

「今、帰ったぜ」

なんてカッコいい登場シーンを演出して見せる。あんれまと口を開ける親族一同。世の中の不安が確実に1つ減り、代わりに楽しみが1つ増えるのです。

死んだら遺影が作られるわけなのですけれど、自分の気に入らない写真、例えば学校の卒業アルバムで無理矢理笑顔を作らされて、結果ひきつった顔になってしまったものなどを元にして遺影を作られたりしたら、嫌だなあと春日さんが言うのです。自分はその世界に存在しないにしろ、お仏壇に延々と気に入らない自分の写真が飾られているというのは確かに嫌なのです。

ならば、いっそのこと自分で遺影を作ってしまえば良いのです。それも毎年作って、更新していくのですね。そして、それを自分の部屋に飾っておきたい。…なんて、いや、おさかなは本気なのです。良いお写真があれば、早速作りたい。

…とそんな縁起の悪い話で熱くなった2時間弱でした。