三途の川おさかなのブログ

だらだらしている

疑り深い日本人

金曜日は2時間目と5時間目だけに講義があるので、その間はお昼休みを含め、がらんと4時間近くの空きの時間があるのです。いつもはもっぱらパソコンルームで何かしらの作業に没頭するのですけれど、今日は入室許可証を持ってくるのを忘れてしまいましたので、その手は使えないのです。

結局、図書館で新聞を読んだり、ベンチで小説を読んだりして、時間を過ごしました。

今回の小説はまたまた恩田陸さんのネバーランドです。恩田陸さんの作品には学園ものが結構あるのですけれど、どれも全然違う雰囲気ですごいです。自分が学園生活真っ只中なわけもあり、おさかなは恩田陸さんの学園ものがとても面白いです。

ネバーランドはまだ読み終えてないのですけれど、興味深い文があったので、それを引用させていただきます。冬休み、多くの学生たちが帰郷する中で、宿舎に残ることになった3人と1人のはなしなのです。彼らが宿舎のリビングルームのテレビで、ロボットコンテストの国際大会を見ている場面です。




統(おさむ)が早口に説明した。国際大会は数か国の持ち回りで行われる。それぞれの国のトップクラスの工科大学から同人数ずつ参加するのだが、参加者をバラバラにしてチームに振り分け、国籍混合チームで一定期間内にロボットを作るのだ。当然、言葉の壁があって打ち合わせは難航する。

「これ見る度にさあ、いいかげんに日本は英語教育を廃止すべきだと思うんだよね」

辞書と首っぴきでコミュニケーションに悪戦苦闘する学生たちを画面に見ながら、統は醒めた声で呟く。

「何?力を入れるべきの間違いじゃなくて?」

「ちがうちがう。とっとと廃止すべきだよ、英語の授業なんて」

「なんでー」

「だってさ、ここに出てるこいつらT工大だぜ。頭いいんだぜ。日本の学生の上位数パーセントに入るこいつらが六年も英語の授業受けてるのに、見ろよ、誰もろくに喋れないし、聞き取れもしない。英語って、授業のコマだって多いし、年間べらぼうな時間掛けてるのに、全然役に立ってないじゃん。六年間の授業が全くの無駄だってことを証明してるじゃないか」

「それもそうだな。学校の授業だけで英語話せるようになった奴なんて見たことないもんな」

「だろ。六年もやって身につかないこと分かってるんだったら、その時間他のことに使った方がいいじゃん。あんな日本語にもなってない構文の訳なんて、大学に入る以外何に使えっていうんだ。それか、本当に喋らせる気があるんなら根本的に方法を変えるべきだよね。効果がないと分かってるくせにえんえんと同じ教育法を続けるってのはただの馬鹿だよ」

「日本の英語教育って、英語で意思の疎通ができるようになるのが目標じゃないんだよな。あくまで大学に入るための英語教育だもんな」

「だろ。だって、英語喋るのが目的だったら試験なんか簡単だよ、アメリカ人連れてきて意思が通じるかどうか喋らせてみればいいんだもん」

ネバーランド 恩田陸 集英社文庫 99ページより




ちょっとした英語の短文で構成されるプログラムを扱う立場からすると、今の日本の英語教育が、全く役に立ってないというわけでは決してないのですけれど、教育法は確かに変えるべきなのですのよね。あの文ってそのまんま恩田陸さんの意見なのでしょうかに。

夕方、大学の食堂でのんびりと曲の構想を練っていると…と書くとなんかかっこいいですね。でも今回考えてるのはとてつもなく大バカな曲なのです。うふふ。

それはさておき、夕方、大学の食堂でのんびりとバカな曲の構想を練っていると、見知らぬ学生の2人組に声を掛けられました。話し掛けてきた人は中国系の留学生のようで、ちょっぴり日本語のいんとねーしょんがあやしいのでした。

あさって、5月9日は母の日。新大久保の辺りで、それを祝ってちょっとした催し物を開くらしいのです。この催し物がキリスト系の宗教じみたものらしく、留学生さんの不安な日本語も手伝って、おさかなは大丈夫かなあと少し疑ってしまいました。でも、催し物の中にはアンサンブルなんてのもあるので興味も多少ありました。最終的には留学生さんの押しに負けて、2人と連絡先を交換し、催し物に参加することを約束しました。

留学生さんはおさかなと同じ情報工学科の1個下の後輩なのでした。

色々な音楽に触れるということは作曲についても大事なことなのです。

おさかなはもしかすると悪徳商法だとかに簡単に引っ掛かってしまうのではないかと自分に不安を感じてしまいました。い、いや、留学生さんは悪徳商法じゃないのです。なんか一生懸命なのでした。見知らぬ人にお誘いを掛けるって、慣れない人にとっては勇気がいることです。がんばれがんばれ。