三途の川おさかなのブログ

だらだらしている

死にたい

ここ1、2週間、生気でも吸い取られたかのようにやる気が出ません。何かをやりたい気はあるのですけれど、それを行動に移す気力が出ないのです。よく咳きが出ます。くしゃみが出ます。体もなんだかだるいのです。

病気がやる気の無さを引き起こしているのでしょうか。やる気の無さが病気を引き起こしているのでしょうか。

死にたくもないのに心の中で、またときには口に出して「死にたい」と言います。解放されたいとか休みたいとか、そんな意味で使っているのです。

後輩があるとき、なんの前ぶれもなく「ばくぜんと死にたい」とつぶやきました。それを耳にしたおさかなはすげえインパクトだなあと、ある種の感動を覚えましたのです。それ以来、そのインパクトが頭から離れず、死にたいなんて言葉を使うようになっちゃいました。…とはいえ、彼がおさかなと同じ意味でその言葉を使っていたのかは定かではありませんが…。

(゚Д゚;)

おさかなにとって、死とは人生の最後のお楽しみなのです。死の先に待つのは天国か地獄か無か、はたまた転生か。何が待っているのかはわからないのですけれど、それ故にお楽しみ。お楽しみはずっとずっと最後まで取っておきたいものなのです。

(´ー`)

朝、いつものように大学に訪れると、自転車置き場付近で、業者さんによる草木のお手入れが行われていました。チェーンソーがぶお~んと唸り、葉の長さを均等に揃えていきます。

おさかなは自転車を降り、チェーンソーを使っている人の横を通ります。その際、

「おおっと!?」

なんてチェーンソーの人がうっかり手を滑らせて、チェーンソーの唸る刃が、おさかなの腕にぐわしゃあ~と接触して、腕がめちゃめちゃになってしまう状況を想像して、どきどきしてしまいました。

こういう…もしかしたら自身に被害を及ぼす可能性があるような状況に出会いますと、大抵、実際に被害に遭う自身を想像し、どきどきしてしまう癖があります。

駅のホームに立ち、電車がやって来るところを見ると、線路に降りて、電車に跳ね飛ばされる自分、線路に腕を置き、車輪に挟まれるところなんかを想像します。小さな頃は乗車する際に、電車とホームの間に出来た狭い空間に落ちてしまうところを想像し、怯えてました。

川だとか便器だとか、水がたまっているところを見ると、ケータイを落としてしまい、こいつはマイッタぞと、落としたケータイを取ろうとするところを想像してしまい、ハッとケータイの入ったポケットを押さえるなんてこともあります。これもいわゆる被害妄想というやつの1つなのでしょうね。

話は飛びまして、寝るときなのです。ふと玄関に目を向けますと2、3センチほどの中型のクモの姿が見えます。玄関のドアの上方には小さな窓があり、そこから外にある蛍光灯の灯りが洩れているので、クモの姿はシルエットの様でなんともおぞましいのです。布団から這い出て、灯りを点けますと、見事なクモの巣が姿を現しました。

早速カサを手にとって、巣は強制立ち退きです。クモ自身も退治しましたが。人が生活をしているというのに堂々と入り口に巣を構えるとはなんてふてえ野郎なのでしょう。そして、おさかなにはそんなに存在感が無いのでしょうか。